琵琶湖キャンプ(めろりーな3)

 

2003年11月1日~11月2日

牧キャンプ場は閉鎖(キャンプ禁止)になってしまっているようです。

 

【織田まりの小さな旅のメモ】

(03.11.1 近江八幡と観音正寺)

 

その日は秋晴れと言うより
少し暑く感じるほどの陽気だった。
当初は、松田氏からの連絡が入り次第
家を出る予定だったが
私は、既に琵琶湖の東側へ来ていた。
近江八幡の素晴らしさは以前から聞いていたが
ゆっくり訪れた事が無かったので
この機会にと思い散策してみた。

 

校舎を残すか取り壊すかで
もめに揉めた豊郷小学校と同じ建築家
ウィリアム・メレル・ヴォーリズが
築いた歴史的建造物が
そこには多く残され、旧家の佇まいと
お堀の中を静かに進む水郷めぐりの屋形船が
私をシビレさせてくれた。
Cool!とExcellent!をやたら連発する
知り合いのオーストラリア人
ジャスティンから
「もうすぐ俺のおとんとおかんが
オーストラリアから来よんネン
どこ連れて行ったらええと思う?」と
相談されていた私は
二条キャッスルと知恩院に加えて
近江八幡を勧めする意向を固めた。

 

閑話休題、昼食を済ませ車へ戻りかけたところで
松田氏から「安土駅で会おう」と
メールが入ったので私は近江八幡の町に
「次は必ずカッコイイ男と一緒に来るからね」と
約束し可及的速やかに
私の先祖織田信長が愛した安土へ向かった。

 

JR安土へ到着したものの
そこに彼の姿は、なかった。
それもそのはず私は駅の西側
松田氏は線路を挟んで東側にいたのだ。
踏み切りを渡りキョーレツに狭い道を摺り抜け
やっとの思いで約1年ぶりに彼と彼のFTRに
会うことが出来たのだった。

 

前日彼からは、ハイキングの行程表が
送られてきていた。
そこには安土駅を出発し
近江風土記の丘へ行き、桑の実寺へ行き
その後観音寺城址、最後に観音正寺へ巡礼
と書かれてあったと記憶している。
が、しかし時刻はもうすぐ
15時になろうとしている。
通常のハイキングなら
そろそろ解散かな、という時間だ

 

片道約1時間半のハイキングコースを
3時にスタートすると
ゴールは間違いなく6時を過ぎる
11月の夕方5時以後の山道はハイキングではなく
罰ゲームといっても過言ではない
そんな罰ゲームを受けなければならない
素行の悪い事は祐貴ちゃんの
お父上から頂戴した鈴虫4匹(番いで2組)を
全滅させた事ぐらいしか思い浮かばないが
その事実を松田氏は知らないはずだ。

 

Too Late なハイキングを敢行するか
端折って最小限にとどめておくかの
重大な選択を迫られていた。
我々は悩む事なく後者を選び
安土駅から桑実寺の参道下まで
車で移動する事にした。
結果的にこの手段は英断だったといえる。

 

幅と高さが統一されていない桑実寺の石段を
杖をつきながら蹣跚(まんさん)たる足取りで
はあはあと息を切らせながら
「まりちゃん、俺、さっき、長命寺でも、
石段、登って、体力、使って、きたし、
正直、ゆうて、足が、上がれ、へんし、
俺の、ペースに、合わせんでも、先に、
行って、くれて、ええし・・・」

 

言われなくてもそうするつもりだった。

 

 

 

桑実寺へ到着
拝観料300円を払った。
今年つけた梅干2個を戴き
少し休ませてもらった後
本堂に向かって右にある参道へ進む
この道こそが西国三十三ヶ所巡り
最強とされている観音正寺へと続く道だ。

 

桑実寺のおばあちゃまが
「あんたらの足やったら35分で行ける。」
と激励して下さったが
山道35分はチトきついなぁ・・・・

 

でもとにかく行くしかないので
我々は出発した。

 

ほんの少し歩いただけで汗が流れてきた
九十九折の山道を進むに連れ
段々寡黙になり
私は「お茶飲む?」と聞くのが
彼は「まだええわ」と答えるのが
精一杯だった。

 

「チェーンソーの音がする、もうすぐ着くで!」
松田氏が振り返り叫ぶ
「・・・・チェーンソー・・・・?
なんで、チェーンソー・・・・・?」
疑問に思ったが、答えは簡単
観音正寺は再建されていたのだった

 

数人の大工さんがタオラーになり
作業をしておられた。松田氏が呟く
「恐らく宮大工がやっとるなぁ」

 

そんなん、あたりまえやんかっ!

 

完成間近で左甚五郎などとは全く無縁の
Brand-new 観音正寺を見て
新しいお寺はキレイやけど”徳”が
感じられへんなぁ…
と言うのが私の率直な感想だ。

 

 

 

納経所は大繁盛していたので
休憩の意味も込めて
飛行機の滑走路みたいに真っ直ぐ伸びた
新幹線のレールを眼下に見下ろしながら
大仏様の前のベンチで待つことにした。

 

 

 

 

いつまでたっても人の数が減らない納経所に
観念した松田氏は意を決して
順番を待ちに行った。
連休で訪れる人が多かったからなのか
たまたまタイミングが悪かったのか
とにかく待たされて
私も松田氏も完全に体が冷えきった。
岩の上にそびえ立つ
緑青を吹いた仏様にお別れして
私達は下山することにした。

 

帰りは楽勝!
二人とも冗舌だった。
大きく分けて二つのテーマについて
話し合いながら山を降りた。
先ず始めに今までどんなテレビに出たか
と、言うよりは映ったかということ

 

松田氏は「おはよう朝日です」
おき太君の後ろで勝手にフレームイン
を含む関西ローカル2~3本
私は夏の「全国高校野球選手権大会」
表裏のチェンジの時テレビ画面下で
アニメーションが流れながら
スタンドの観客が映される全国区1回
数の多さでは松田氏の方が上回っているが
総合的には私の方が勝っていると自負している。

 

第二のテーマは日本ハムから阪神へ移籍し
2003年のタイガース優勝に
大きく貢献したピッチャー下柳

 

ハッキリ言って昔は大嫌いだった。
あのワイルドさがどーしても許せなかったし
許さなかった。でも今は違う、
あのワイルドさにダンディズムを感じ
許せるどころかSEXYさを感じる。
と、いうような事で我々は概ね合意した。

 

桑実寺へ戻ると先刻のおばあちゃまの姿はなく
ご住職らしき方が戸締まりをされているところを
お茶を一杯だけ戴いて
松田氏と私は桑実寺を後にした。

 

事件が起こったのはその直後の事だった。
松田氏は西国三十三ヶ所巡り最強と
いわれているこの道中
彼の体を支え彼の歩行の助けとなった竹の杖を
返却せずに寺門をくぐり抜けたので
私は慌ててそれを返すように促し諌めた。
西国巡礼ファイナル直前で彼を窃盗犯に
するわけにいかなかったからだ。

 

そして車へ戻り刹那のドライブ
漸くハイキングのゴール地点
安土駅へ帰って来た。

 

「松田さんどこでキャンプすんの?」
「マイアミキャンプ場のいっこか2個北の無料の
湖岸のキャンプ場やねんけど名前忘れた。
ココからの行き方もハッキリ分からん。」

 

その解答で恐らくあのキャンプ場やろな・・・
と、思い当たる場所があったので
そこで再会することを約束し
この安土駅で一旦解散となった。

 

彼の小さくなってゆく背中を見つめながら
安土駅付近の凄まじいばかりのあの細い道を
再び通るのかと思うとゾッとした。

両手で車のハンドルを抱きかかえながら
ため息と共にグレートブリテン産まれの
Lovely car があったらなぁ・・・
と後悔の念に駆られていたが
比叡山の向こう側に
完全に日が落ちたこの時間帯は
道路が渋滞している事が
懸念されたのでアクセルを踏んだ。

 

「キャンプ場に着いたら電話するわ」
と言っていたのに一向にかかってこない。
彼は電話をかけたくても
かけられない状況下に置かれていた。
なぜならそこはPHSが
通じない場所だったのだ

 

たとえPHSの電波が届かなくても
彼の神通力は私に届く
私が思っていた通りの場所に
FTRと彼は、いた。

 

少し遅れてチョーさん・まちさん・
吉村さんも合流
私は彼等とは初対面だったので
軽く挨拶を交わして
松田氏のテントを張る手伝いをした。

 

後から作業を始めたチョーさん達の方が
先にテントを張り終えていた。
松田氏のキャンプ初心者の度合いは
火を見るより明らかだった。

 

「まりちゃん、南どっち?」
私は右手で南を指差し
「東は?」
続いて左手で東を指差した。

 

ペグでテントを固定することより
此の期に及んで
風水を重んじる松田氏には恐れ入った。

 

課題は多く残されてはいるものの
どうにかテント完成。

 

松田氏がコーヒーを淹れてあげると言うので
御言葉に甘えた。
桑実寺に続き彼にお茶を入れたもらうのは
この日二度目。
本当に美味しかった。

 

一杯のコーヒーを二人で少しずつ飲みながら
韃靼念仏教のテーマ
「愛に生きて、愛に死ぬ」を
私は貫き通せていないことを松田氏に話した。
どんな事でも全面協力するから
韃靼念仏教のバイブル
クレイジートレインを信じて前進しろ!
と、教祖直々に教えを頂戴した。

 

そして最後に「ターミネーター3」を
誘っておきながら映画館で爆睡する男
プロフェッサーIからこの日の前夜託された
一通の書類を松田氏に渡して
信長の子孫としての織田まり、
松田昌彦の峰不二子、
湖畔の女王、
プロフェッサーIの使者の
一人4役の任務を無事終えた。

 

松田氏と再会を約束し
彼は食料・水・カイロを調達する為
私は翌日の出石そばの旅へ出発する為
それぞれの進路へ。

 

巡礼の旅もファイナルの
“谷汲山 華厳寺”を残すのみとなった。
彼が発行しているメルマガ
「オートバイで行く!西国三十三カ所巡り」
の熱烈な読者と同様
この旅が終わるのは私も忍びないが
何れまた彼が自分次第と気分次第で
旅に出て私達を楽しませてくれることを
切に願っている。

 

 

Spacial Thanks 松田昌彦殿